17
2009
Fighting Bull
- CATEGORYHistoric models

65年/シャシーのみで発表されたP400は、3番目のプロダクション・モデルで「MIURA」の名が与えられ、66年/ジュネーブショーでデビューしました。元々レーシングマシンとして設計が進められたモデルでしたが、オーナーのフェルッチオがモータースポーツに関心が無く参加を拒んだ為、ロードモデルとして世に送り出される事になるのです。
そして6年後の1971年/ジュネーブショーで、ランボルギーニを代表する人気モデル「COUNTACH LP500」がデビューする。(※ちなみにカウンタックとは、本拠地のあるピエモンテ地方の方言で「驚きを表す感嘆詩」なのでした)
しかし「LP500」は、ミウラの場合と異なりそのまま生産に移れなかったのです。
さまざまな不具合の表面化と経済危機で大幅に作業は遅れ、2年後に「LP400」と名を変えたプロトタイプの展示から、ようやく難産の末に市販モデルが発表されるのは、74年/ジュネーブショーになります。
その後19年に渡る長い生涯を送り、最終モデルとなるアニバーサリー(ランボルギーニ設立25周年モデル)から、1990年/ディアブロへとバトンタッチするのです。
どちらかと言えば、私はスーパーカー・ブームにハマらなかったタイプでしたが、あの跳ね上がったドアには、「クルマが特定のドライバーを選び、ビギナーを寄せ付けないオーラ」をヒシヒシと感じます。
Rosso May.2000/NEKO PUBLISHING CO.,LTD.

しかし「LP500」は、ミウラの場合と異なりそのまま生産に移れなかったのです。
さまざまな不具合の表面化と経済危機で大幅に作業は遅れ、2年後に「LP400」と名を変えたプロトタイプの展示から、ようやく難産の末に市販モデルが発表されるのは、74年/ジュネーブショーになります。
その後19年に渡る長い生涯を送り、最終モデルとなるアニバーサリー(ランボルギーニ設立25周年モデル)から、1990年/ディアブロへとバトンタッチするのです。
どちらかと言えば、私はスーパーカー・ブームにハマらなかったタイプでしたが、あの跳ね上がったドアには、「クルマが特定のドライバーを選び、ビギナーを寄せ付けないオーラ」をヒシヒシと感じます。
Rosso May.2000/NEKO PUBLISHING CO.,LTD.